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【連載】音楽と僕らの共存論/第5回

<隔週木曜日連載>




音楽は絶望の淵へと叩き込むのでしょうか?

試験の前日は眠れましたか?
部活の大会前には眠れましたか?
好きな人に想いを伝える前日は眠れましたか?

合格、勝利、承認、名誉、愛情…

私たちは日頃何かを欲していて、
何かを奪い取られるのが怖くて生きている気がしています。

また、この恐怖心というのは、
豊かな想像力により、
次々と増幅させることも可能だと思っています。

コップに水を注ぐ時、
水が上からあふれることに注意するとは思いますが、

一方で、コップの底が抜けて、
水が下からこぼれていくことに注意することはあるのでしょうか?

ほぼあり得ない事態ですが、
私たちはそんなシーンも不思議と想像することができます。

少し冷たい言葉尻、
あざ笑っているように見える口元、
にらみつけているかのような目線、

本当は違うかもしれないのに、
友人や家族や恋人の、一つ一つの顔のパーツから、
自身が嫌われたのではないかと、考える時があります。

何かを実際に失った時。

早朝の日差し、
周囲の雑踏、
鮮やかな広告、
すれ違う歩行者の顔。

全てが近くにあるにもかかわらず、
私は1人だけでその道を歩いているような気がします。

本当は違うのに、
“全て”を失ったかのような錯覚におそわれます。

ただ私は、
この想像力を魅力的に感じることがあります。

「絶望とは、何かを手に入れるために手を伸ばす人の特権かもしれない」

そんなことを思うと、
何か不思議な心地よさに包み込まれるのです。

私がアスファルトの道で
スニーカーを履いて一歩ずつ踏み出す時、

歩きたいと思っていて、
どこかに行きたいと思っていて、
そして、辿り着けなかったらどうしようと思っている。

私は何かが欲しい時、
その欲しい気持ちと同じくらいに不安・恐怖を抱えているのです。

この不思議な心地よさを求めて、
音楽でも絶望を描きます。

未来の絶望、不安を込めた歌です。

https://youtu.be/z9g2uYurKlA

音楽は、絶望の淵へと叩き込むのでしょうか?

私が本当に何かを失った時。
音楽は、私を1人にし、暗い部屋に閉じ込めてくれるでしょう。

そして、
私が何も失っていないにも関わらず、
想像し、恐怖する時。
音楽はその気持ちを、心地よさに変化させてくれるでしょう。

私は上を向くより、下を向いて歩きます。

上から物が降ってくることよりも、
下に何か触れたくないものがある確率の方が高そうだからです。

塗装がはがれたガードレール、
ひび割れたコンクリート、
品種不明な雑草。

私は私らしく歩いていたい。

そうやって思いながら、
自分の道が、何かに汚されるのを同じくらい恐れているのです。

絶望を空想し、
音楽が空想を包み込む。

絶望には、
手を伸ばし続ける人間の汗臭さが染み付いており、
その汗からは、生きる人の強さを感じとるのです。

Endless宵道/永江 晴夫(Ba.)

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Endless宵道/今日の1曲

https://youtu.be/kqm1ik3UOzs

アーティスト情報




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