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【連載】パーティ日和/第31回

<毎週土曜日連載>




学生街の喫茶店

タイトルはGAROの名曲であるが、今回の話は喫茶店ではなかった。食堂だ。
学生の感受性というのは時代とともに移り変わっていて、敏感な10~20代前半の感性は兎角時代を映す鏡なのだなあと思った。「学生でいつも賑わうこの喫茶店の片隅でお茶を飲みボブディランを聴きながら訳もなく君と話した」人はどのくらい居るだろうか。さらに「あの頃それが愛だと気付かず、サヨナラも言わないまま君と別れた」のが心残りで「窓の外の美しい街路樹を眺めているとドアを開けて君が来る気がする」人はお客様の中におられませんか。

残念ながらぼくが学生だった22年前にもそんな奴はほとんど居なかった。かわりに「金も単位も足りず、親の電話にひたすら怯えながらいつも腹をすかせていた」学生が多かった気がする。さらに「ごはんのおかわりが自由な店で1日分の食事を一度で済ませるのが最適解」などと言いながらソースでビシャビシャにしたコロッケでご飯を大盛り二杯食っていた友人はご健在だろうか。

あの頃のぼくらは大義を振りかざし学生運動に身を投じる事もなく、しっかり勉学に励み将来を見据えた計画を立てていた訳でもなく、ただ過ぎていく毎日に焦りや不安を感じてはいるものの「なんとかなるだろう」とタカをくくり恵まれた環境にあぐらをかいては身の回りに迎合も反発もせず無関心を装っていたのではなかったか。
70年代のヒッピー達のような達観した自然回帰ではなく、僕らのただ自堕落な楽観主義は見苦しいの一言で、感傷に浸るまでもない。だからぼくは喫茶店をテーマに一筆なんて書けはしないのだ。

だが、それはそれとして僕らはいつも腹をすかせていた。
学生たちにとって食うことは生きることそのものであるので美味い、安い、量が多い食堂は大人気だ。あの頃ぼくがよく利用した「とんかつ工場ふれんど」という店が学生街にあって、とんかつ定食ダブルを注文するととんかつが3枚乗ってきたものだ。トリプルは4枚だったかどうかは僕は知らないがご飯の盛りも多く、だいたいどのメニューも500~650円くらいだったと思う。店はもうなくなってしまったが当時ご主人が「おしゃれな店をやりたいよー」と言っていたのを思い出す。おしゃれな店は実現しましたか。

そんなシノギを削る学生街食堂戦線、当時の大人気店「はいから亭」がこの度復活した。ぼくは耳を疑ったが本当だった。
「はいから亭」は「勝山協食」「太養軒」と並んで「御三家」と呼ばれていた(個人の感想です)食堂で自分が学生だった当時はAランチ/Bランチというのがあって、どちらを頼んでもトンカツやコロッケ、ハンバーグなどと一緒に握りこぶし大のからあげが2個乗っていた。ぼくはそれを「キメラの唐揚げ」と呼んでいたが、メインディッシュは揚げ物の下に敷かれているあまり味のついてないカレー風味のスパゲッティ。なぜか美味いと評判で、あれだけおかわりできると知ったのは大人になってからだった。

その後メニューは変わっていたが最近まで営業されていて、ご主人の体調不良で閉店したと伺っていたので今回の復活はとても嬉しい。無口なご主人の背中にもう一度会える。という事で早速行ってきた。

終わらない青春、変わらない看板
ハンバーグとポークカツみそソース。ごはん付きで650円。

相変わらずテーブルも床も油で少しネチョっとしているしコップの乾燥は不完全で少しだけドキドキする。窓から差し込む日光でホコリがキラキラ光ってとても綺麗だ。店内はタイの歌謡曲のPVが古いブラウン管のテレビで流れていた。
ご主人は健在で、むしろ若返ったような気さえする。無口ながら笑顔が見られ、元気な姿に安心し飯を食っているとあの頃の自分がドアを開けて入ってきそうで、少し涙腺が緩んでしまった。
自堕落な青春さえも、いや自堕落な暮らしをしていたからこそ、振り返ると懐かしく甘酸っぱいのかもしれない。どんな人生も捨てたものじゃない、遠くにありて思う時初めて輝く日々もまた、青春なのであった。

2021年3月現在のメニュー

聖地巡礼の際は参考にされたし。

ライブハウス『松山サロンキティ』店長/武花 正太

プロフィール

武花 正太

愛媛県松山市のライブハウス

松山サロンキティ』店長

Twitter:@take87syouta

音楽、アニメ、旅、鉄道、廃墟、階段など、引っ掛かりを覚えた物を節操なく取り込んだボーダーレスなライフスタイルは国内外を問わず広く呆れられている。

自身のバンド「MILDS」では作詞作曲、歌、ギター、ピアノを雰囲気でこなし、さまざまな現場でベースを弾く。

DJとしても活動しており、主な得物はなんとアニソンである。

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