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【連載】街鳴りのSorako、本音しか言わん/第13回

<毎週水曜日連載>

わたしの名前と両親のはなし

どうも!おはそらこ!!!
街鳴りというバンドのギターボーカルをしておりますSorakoと申します٩(◦`꒳´◦)۶

こんなどこぞのバンドの女のわからないやつが連載させていただけて、読んでいただけることに感謝して今週も書かせていただきますとも!!

今週はわたしの名前について!
最近良い名前とか言ってもらえることが多くて、なんか書きたいなと思いました!

わたし、Sorakoという名前で活動してるのですが、普通に本名出しちゃったりしてますし、この連載なら良いかということで本名言うと「一丸 佳菜江(イチマル カナエ」と言います!(≧∀≦)

一丸って名前結構珍しいって今までいろんな人に言われてきました!
一応、石川県金沢市に先祖の墓あるんですけど、石川県は一丸結構いるそうですw
一回言ったら忘れられない名前みたいで覚えてもらえること多くて、この名前良かったなと思いました!
あとはホラー映画で、「リアル鬼ごっこ」って映画あるんですけど、その映画が名字の人口が多い人から殺されていくってストーリーなんですけど(佐藤さん、田中さんとか名字多い人の人口を減らすという話)、それ見て一丸って名前なら最後らへんまでおれるな☺️とかそんなしょうもないこと考えたりするくらい、この名前が大好きです(´ω`)

「佳菜江(かなえ)」の由来は、両親が女の子1人欲しかったらしいんですけど、生まれてきたのが2人とも男の子で、お父さんがもう諦めようと言ったら、お母さんがどうしても女の子が欲しいと言って、願って願って生まれたのが私だったらしく、願いが叶ったということで「かなえ」とつけたそうです!
漢字の一文字目の「佳」はお父さんの名前の「佳生(よしお)」からとったそうで、結婚して苗字が変わってもお父さんを忘れないようにという親バカぶりで、昔はめちゃくちゃ嫌がってましたが、今はお父さんの字が名前に入ってることが嬉しくて誇りです(´,,•ω•,,`)

でも昔はお父さんが嫌いで嫌いでしょうがなかったんです笑笑
中2のときお母さんが死んでから、仕事もしなくなって家でお酒飲んだり寝てばかりで、そしたら自己破産になって家なくなってとかで(笑)

お兄ちゃんはファッションデザイナーになるため学校通っていましたが夢を諦めて私と次男のために就職して、お兄ちゃんが成人するまで養ってくれてました。

お父さんは働いてはいませんでしたが、料理は好きだから、ご飯や家事はしてくれていました。でもとにかく情緒不安定キレやすくて、ちょっとでも何かしたら殴られたり怒鳴られたりで、あざだらけで学校行ったら騒がれたくらい(笑)
お父さんとは毎日喧嘩したり言い合いしたり、本当に嫌いで嫌いで仕方なかったです。

でも私が高卒で就職して社会人になってから、お父さんも落ち着きはじめて少しずつ仲良くなっていきまして、お父さんを可愛いとさえ思うようになってました。
23歳の時に父の日に手紙を渡したら、その時はあっさり受け取って適当に置いてたのに夜中リビング見たら、読みながら泣いててその手紙を大事そうにお母さんの仏壇に飾ってくれてたり(´,,•ω•,,`)

周りにも「よくグレずに一緒にいるよね」とか「普通なら出て行ってる」とか言われたりしたんですけど、どれだけお父さんを嫌いでも離れなかったのは、お父さんがお母さんをめちゃくちゃ愛してたからですかね!

亡くなる前から弱愛でしたけど亡くなってからも、ほぼ毎日お母さんの話ばかりしてましたね。
出会いやどんなところが好きかとか(´ω`)
 
出会いは職場。お父さんはカメラマンの見習いで、お母さんはファッションデザイナーでモデルさんの撮影のときに知り合ったそうです。
お父さんがモデルとか綺麗な人と出会ってばかりで、大体が性格キツ目の人が多かったらしく女の人にうんざりしてたそうですが、お父さんの仕事仲間がきっとタイプだからと紹介されて会ったら、お父さんのタイプの低身長と八重歯の似合う笑顔で一目惚れしたそうです。
娘の私が言うのもなんですが、お母さんは特別美人、可愛いというよりは雰囲気が可愛らしいって感じですけども(´,,•ω•,,`)

お父さんがアタックして何度かご飯にも行って付き合ったそうで、お父さんはまだカメラマンの見習いで無職だったそうですが、お母さんと結婚したすぎてプロポーズしたら、お母さんが断ったそうです。理由はお母さんの両親(わたしの祖父母)。おじいちゃんが難病で歩けない病気だったのでおばあちゃんが介護をしていて、私がいないと2人が悲しむし、そんな不自由な2人を置いて嫁げないと言ったそうで、お父さんも了承しましたが、そこから気まずくなって2人は別れたそうです。

それから半年後、お母さんからお父さんに会えないかと電話があって久しぶりに再会。
(ただこれに関してはお母さんからも昔話を聞きましたが、お母さんはお父さんから電話もらったと言い張って、お父さんはお母さんからとお互い記憶が曖昧(笑))

2人で車で何時間も話し合って、結婚することにしたなったそうです。
お互い忘れられなかったと。結婚しても近くに住んでいつでもいけるようにすればいいと2人で色々話し合って決めたと!

私はその話を聞いて、素敵すぎやんって思いました。
一回別れてもやっぱり好き、結婚したいと想いあっていたなんて…
ドラマにしたいくらい、素敵な話だなと思いました(≧∀≦)

お父さんはこの話とは別にこんな話も毎回してました。
「かなえも夢を追いかけてる男を好きになれよ、お父さんはお母さんと結婚したときはまだプロのカメラマンじゃなくて無職やってん。もちろんお母さんの親2人に反対されたけど何とか土下座して許してもらって、そのあとも何度もうまくいかなくて挫折したし、貧乏やったけどお母さんがいつも笑顔で支えてくれてて夢とお母さんのために頑張ろうと思えて、お父さんはプロのカメラマンになって会社も作れたし、夢は1人より誰かと叶える方が喜びも倍になるからさ。貧乏でもいいから何かに向かって頑張ってる人を好きになって欲しい」
といつも私に話してくれてました。

そう、お父さんは会社の社長だったんです、カメラマンの。
お父さんの写真が駅で貼られてたり雑誌に乗ったり結構有名でしたね。
お母さんが死んで働かなくなるまでは、はっきりいうと裕福な生活してました。月収1000万あったそうですから凄い!
 
お母さんが死んでから周りは新しい奥さんをもらいとお父さんに話していたり聞いていて、私はお母さんはお母さんだけがいいので悲しんでましたが、お父さんは誰とも会わずで再婚せずにいてくれました。

お父さんは癌になって入院して死ぬ直前までお母さんの話ばかりでした。
お母さんと出会えて結婚して、お前たちに会えたことが幸せだったと。ただもう少し生きていたいと話してたこと。  
お母さんが女の子欲しいと言ったとき、男の子だけでええやんと思ったけど、お母さんがお前を遺してくれてよかったと。

お兄ちゃん2人はお父さんに対して照れがあったのか、お見舞いもあまり来てなかったですからね。
私は毎日行ってました。仕事行く前、仕事終わってからも。

だからお父さんの弱音吐く部分も見ていました。泣きながらまだ死にたくないと言った顔がまだ忘れられないんですよね。
病気に蝕まれていく、いつ死ぬかわからない恐怖を母と父と2人分見るとは思いませんでした。

まだ悲しみから抜け出せないのは、お父さんの意識がなくなったときそばにいてあげられなかったことです。
21時の面会時間終了のとき、また明日とさよならしてその7時間後に病院から、意識がないと電話があって…そこから昼に亡くなったんです。
1人で苦しかったろう、寂しかったろうと。
そこだけはまだまだ忘れられないでしょう。
今でも思い出して苦しくなります

……というか話めちゃくちゃ脱線しましたね!(笑)💦すみません。

私にとって両親2人は本当に誇りなんです。
尊敬しているところは、2人とも最後までわたしや兄達の心配をしてくれる優しさでした。
いつ死ぬかわからない恐怖の中で、私たちに風邪を引いてないか、友達とうまくやっているか、ご飯は食べてるかと気にかけてくれて、いつも笑ってくれました。

そんな2人の子どもでよかった。
素敵な名前をつけてもらえた。
ぢゃあなんでSorakoなのと思われるでしょうけど、Sorakoはもうひとりの家族の愛犬の名前なので、これはこれで大事です!

誰かの愛の上で私は生きているということをいつも胸において、これからも生きていきます!
今は音楽に捧げますぜ!!!!

今週もまさかの湿っぽくなってすみません。
両親のような恋愛がめちゃくちゃしたいSorakoでした!(≧∀≦)
来週もよろしくお願いします!!!

街鳴り/Sorako

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