【インタビュー】hideyuki HIRAO/ソロミュージシャンとして、行けるところまで

京都を中心に活動するhideyuki HIRAO。ゼロから何かをつくることが好きで、曲はもちろんCDやグッズの製作、果てはギターまで作ってしまう「DIYミュージシャン」といっても過言ではない。ソロミュージシャンとしてできることを常に考え続けるhideyuki HIRAOに、音楽との出会いを中心にインタビューを行った。
歌うことは好きだけど、人前で曲を聴くのは苦手だった
――音楽に興味をもちはじめたのはいつ頃ですか?
幼少期の頃は音楽に全然興味なかったんですよ。人の前で曲を聴くってこと自体もあまり得意じゃなくて。たとえば、幼稚園の友達を母親の車に乗せて何か音楽流すじゃないですか。でもなんか恥ずかしくて。流してほしくなくって。自分の曲でもないのに(笑)。自分が好きな曲とかも人前で流したりするのも恥ずかしくて。でも、親父の実家にスピーカーがあって、「これなに?」って聞くと「音楽を聴くものだよ。いずれお前にも必要になるときがくるかもね」と。そのときは「なに言うてんのやろ」って思ってたんですけど。歌うこととか声を出すことは好きだったんですけどね。
音楽に意識が向き出したのは音を出すのが楽しいなと気づいたときで、それが小学校低学年くらい。学校の椅子って木で冷たいじゃないですか。冬になったら座布団を持ち込んでいいという決まりがあった。で、座布団の後ろにゴムが付いてるんですよ。椅子に置いたときにずれないように。それをヒマなんでベンベンのばして遊んだりしてたら、音変わるなおもしろいなって。それを小学4~5年まで暇つぶしに遊んでたんですよ。音を出すのが楽しいと思いはじめたのはその時期かな。
ノスタルジー、そしてBUMP OF CHICKENとの出会い
僕、ノスタルジックなものが好きで、「ALWAYS 3丁目の夕日」とか、東京タワーとかそういう昭和チックなものが大好きなんですよ。本格的に音楽すげー!ってなったのは小学5年のとき。卒業生を送る会で先生が体育館で「ALWAYS 三丁目の夕日」の主題歌、D-51の “ ALWAYS ” をバンドで演奏したんですよね。わあすごいって思って。それが初めて見たバンド。映画も観て、続編でBUMP OF CHICKENの “ 花の名 ” を聴いてえげつない衝撃を受けて。その日から頭の中で曲が回って、音楽を聴く楽しさを知りました。
――そこで初めてちゃんと意思をもって聞きはじめたということですね。楽器に興味をもったのもその頃ですか?
その衝撃から1年経った頃、徳島県から香川県の高松に引っ越すことになって。引っ越したときに、UFOキャッチャーでミュージックプレイヤーみたいなのを取ったんです。そこに親父が持っていたCDを入れてくれて。その中にたまたま1曲だけBUMP OF CHICKENの曲が入ってたんですよ。これもバンプか、マジかと。2曲しか聴いてないけどやっぱいいなって。そこからやっと楽器に興味をもちだした感じです。
中学生。もしかしてギター作れるんじゃね?
引っ越して中学に入ったときにギターをやりたいと思ったんです。でも、ギター欲しいけど買えないし、家にあるギターを弾くのも怖いし。親父の実家が徳島の池田なんですけど、そこがけっこう田舎で。そこで良い頃合いの木を見つけてきて。もしかしてギター作れるんじゃね?と。
――発想がすごい!どうやってギターを作ったんですか?
その木を使って、プレートの形をなぞって。僕の妹が中学校の時にテニス部やったんですけど、テニスラケットのガットを弦の代わりに引っ張って。ホームセンターか100均だったかな?フック付きのネジを買って。あれをペグ代わりにして作りました。それを使って親父が昔から使っていた松山千春の全曲集を「これ弾いていい?」って。曲を知らないんで楽譜の曲の上にコードを書いてあるのを見て、ある程度音をおぼえて弾いていました。そこぐらいからマジで音楽に興味もって。
でも、部活は先輩が誘ってくれたんでバスケ部に入りました。その傍ら吹奏楽部の子と関わりをもっていて、ベースのヤツとドラムのヤツがすごい楽しそうに弾いていて。中2くらいからバンドやりたいなと思っていたんですけど、でもうちの中学は学祭がない。だからなんだかんだバンドを組めなくて、そのまま終わっちゃった。高校に入ってやっとちゃんとしたギターを持てました。
人前では歌わなかった。でもあるとき「あ、歌うのおもしろい」って

――いろんなパートがあるなかでギターを選んだのはなぜですか?
ギターはずっと弾きたくて。ベースもすごい好きだけど、やるならギター。歌うのも興味あったんですけど、1人で歌うのは好きなのに人前で歌うのはすごい嫌いで。幼稚園・小学校の時もカラオケでは絶対歌わない。はじめて人前でちゃんと歌ったのは高校生になって行ったカラオケでした。友人と高校1年の時にカラオケ行ってみる?ってなったのがきっかけですね。で、2人だけで行って歌うことのおもしろさに気づいた。「あ、歌うのおもしろい」って。
--なるほど。高校生の時はどんな音楽活動をしていたんですか?
高校1年はずっとギターを弾いてました。さっき言った初めてカラオケ行った友人、そいつも同じギター部に入ってたんですけど、結局高校1年は何もせずそのまま1年が過ぎて。高校2年のときにせっかくやし学祭に出る?ってなって。ドラムとベースを集めて1曲だけ演奏しました。それが初めてのバンド。でも翌年は1人で出ました。
――次の年は1人で出たんですね。それはバンドが違うなあと思ったんですか?
いや、ノリ気じゃなかったんですよ周りが、自分以外は。だからそのまま流れちゃって、空中分解。でも僕自身がバンドやりたいやりたいって言うのも嫌で。自然と集まるほうが良かった。自分が集めてしまうと居心地悪いんじゃないかと思って。ただ、一緒に居たいなと思うやつらはいたんで、ずっとそいつらと遊んでいました。ギターとかベース弾いて遊んではいたんですけど、バンドを組むまではならなくて。
――でも音楽はやめなかったんですね。
高校1、2年の時に、声だけを配信して歌だけでつながるっていう「ニコルソン」っていうアプリがあったんですけど。歌を投稿して再生回数が多かった人が “ 千本桜 ” の作曲者のサインをもらえる企画に投稿したんです。ちょうどギターを持ちはじめた頃で、歌うこととかギターも全然ままならずに結局だめだったけど。でも、僕の歌とギターで反応してくれた人がいてくれたことがすごくうれしくて。それがきっかけで歌をうたうこと、聴いてくれることのうれしさ、楽しさとかが芽生えたように思います。で、もうなんか、ああギターとか歌で食べていきたいなって。音楽の楽しさを届けられたらいいなって。
ソロミュージシャンとしてどこまでいけるか

――高校生以降はバンドを組むことなく今まできてるんですか?
大学生のときに何度かバンドは組みましたね、イベントのときだけの限定バンドで。弾き語りでは高校2年くらいから路上ライブをしてたんですけど。そこからずるずると基本はソロできちゃった。これほんまにわがままかもしれないですけど、縛られるのが苦手なのかも。でもバンドで音楽やってみたいというのもあって。やっぱり最初に見たのがバンドで、一緒に何かを作り上げるということに憧れを感じます。仲良しごっことかじゃないんですけど。
だから、僕の曲の雰囲気も「バンドっぽい」と言われることが多くて。自分が作る曲や、もしバンドしたときの曲も一緒にブラッシュアップしていけるような人がいたらめっちゃ良いのができるんじゃないかなと思ってて。でも結局今になって周りから「なんでバンド組まへんの?」とか言われると、やれてるなら今頃やってます、と(笑)。
――精神的なものとかタイミングもそうだけど、自分の中で合致するものがないからソロになっていると。
そうですね。でも最近、弾き語りでどこまでいけるんやろう、と思う出来事がありました。イベントで僕のこと気に入ってくれた方がいたんですけど、一緒に出演した他バンドのベースの人で。ほんまに何回も良いって言ってくれて「気持ち悪いかもしれないけどほんまに好きやねん」と(笑)。こんなの言ってくれる人あんまりいないですよ。サポートとか必要やったらぜひ教えてください、とも言ってくれて。うわ、うれしい!と思った。
ギブソンJ-45が身の丈に合うような、そんな人間になりたい
――ソロミュージシャンとしてやっていく気持ちが整ってきたということですね。目指したいところとか目標はありますか?
一番目指したいのは、自分のイベントはやりましたけどソロでの単独のライブはまだなので、それですかね。ワンマンライブ。大きいイベントも出てみたいですけど、やっぱワンマンをして動員を入れられるようなライブをしたいですね。あと、ギターを新調したい。
――どんなギターがいい、とか決まってるんでしょうか?
今のギターは、高校1年からずーっと使ってるんです。相棒なんですけど、ライブでの自分のスタイルにちゃんと合ったような。同じものを使ってるのもいいんですけどもっとずっと使えるような、かつ自分の声にあった音も出て、というのが欲しいんです。商売道具ですしね。
「今年はギブソンJ-45を買う」という目標も立ててました。今年中には無理かもしれないんですけど、でもいずれそういうのが買える人間になりたい。そういうのに身の丈が合うような人間になるというのが目標ですね。身の丈を上げられるような曲を作れるようにとか、ライブ出演も収入としてカウントできるようにとか。いっぱい目標ありますけど。最終的にどうなりたいというのは今はまだ決めれていないですね。目の前のことを一つひとつ潰しながらやっていきます。
地元の高校生バンドがもっと活躍できる場所を作りたい
――目標という話が出ましたが、他にはどんな目標がありますか?
そうですね。自分の名前がもっと広く知られるようになったら、地元に『関西のバンド連盟』みたいなのを作りたいなって思ってて。地元の高校生バンドがもっと活躍できる場所というか、そういう機会を増やしたいっていう気持ちがありますね。
――バンド連盟の話もそうですが、インタビューを通して「ゼロから何かをつくる」のが得意な印象を受けました。
ギターを作ったり曲を作ったり、なにかを作るというのが好きなんですよね。その延長で最近はグッズにも力を入れていて、色んな方向から興味をもっていただけたらうれしいなと。歌だけじゃなくて、グッズかわいいなってところから「このミュージシャンどんな人やろ」って調べてくれる人も増えたらいいなと思ってます。

グッズはライブのときの物販だけじゃなくて、僕のTwitterのDMからもご注文できるんで、連絡お待ちします!
誰もが知ってるアノ人とのコラボ
――ありがとうございました!最後に告知があればお願いします。
コロナを経て、徐々に活動を再開してきました。ライブもそうですが、YouTubeに自分で編集したライブ映像をアップしたりしてて。だからぜひ見て欲しいですね。
“ おまじない ” という静かな曲や
タイトル未定の曲だけど、弾き語りなのにバンドを感じることができる曲とかもアップしています。
それから、これは僕のYouTubeチャンネルじゃないんですけど、最近プロボクサーの亀田大毅さんとコラボした動画もアップされたんで、見て欲しいですね。
――あの亀田大毅さん!?どういったつながりからコラボすることになったんですか?
京都の伏見区にある『4REST』(※)っていうロックバーがあるんですけど。
――はい、存じ上げています。僕も行きつけなので(笑)
ですよね、僕たちもそこつながりですしね(笑)。まぁ僕もよく行くお店なんですけど、『4REST』のマスターから「亀田大毅さんのバックでギター弾いてみいひん?」ってお声がけいただいて、亀田さんが瑛人さんの “ 香水 ” のミュージックビデオを再現するっていう企画に参加してきました。すでに亀田さんの公式YouTubeで公開されてるので、ぜひ見てください。
(※)4REST について
Japanese rock bar『4REST(フォレスト)』
現役バンドマンのマスターが営む、京都市伏見区にあるBAR。店内で流れるジャパニーズロックを肴に多種多様なアルコールを楽しむことができる。経験豊富なマスターの音楽談義は一聴の価値アリ。定期的に店内で弾き語りライブもされるなど、音楽好きはもちろん、さまざまなアーティストが集まるROCK BAR。ぜひ一度、足を運んでみてほしい。
Twitter:https://twitter.com/4RESTbarkitchen
Instagram:https://www.instagram.com/4rest_japaneserock_bar
アクセス:京阪線/近鉄線 丹波橋駅から徒歩7分
アーティスト情報
hideyuki HIRAOの概要やオフィシャルサイト、ディスコグラフィーなどの情報は、以下の記事で解説している。
(Photo by hideyuki HIRAO / Interview by 倉田航仁郎 / Text by ミドリM / Edit by 倉田航仁郎 )