【連載】パーティ日和/第6回

<毎週土曜日連載>
今夜、すベてのバーで
僕は酒が好きである。
僕というか、僕くらいの年齢のバンドマンは酒好きが多い気がする。今日は僕が20台後半〜30代前半を過ごした、東京での酒浸りバンドライフの話をしよう。
そもそも僕はお酒が苦手であった。
大学生になり音楽サークルに入部し、やがてやってくる「コンパ」という洗礼。酒が強い奴が会場の空気を席巻し、そこそこ飲める奴が便乗し騒動の中に入り、飲めない奴はみんなの輪に入れずそれを見て愛想笑いをするしかないという生き地獄。
「飲みニケーション」という言葉が昔あったが「アルハラ」という言葉に置き換わっていったのは全てそういった種類の酒飲みの責任だと思う。
せまい価値観を押し付け(押し付けているつもりはないのだが)まずい酒(酒自体の品質のことではない)を強要(繰り返すが強要しているつもりはない)するからうまい酒を知らない若者が飲酒という行為に絶望していったのだ。
かくいう僕も腕立て伏せしながらストローでビール一気飲みをし、先輩の作った泥濘色の飲み残し全部入りカクテルを飲み干し美味しいと言い、頭から日本酒をかけられたあたりから道を踏み外していった。
酒の楽しさを知ったというよりは酒でも飲まないとコミュニケーションが取れなくなっていったのだ。「ダメ飲みニケーショニスト」になってしまったのである。
そんな調子で酒の世界に入ってしまったものだから、アル中までは一直線だった。
ライブの日は缶ビール片手に現場入りするし、ステージドリンクも酒だった。
働いていた店は自由に酒を飲んで良いという変わった店だったので好きなだけ飲みながら営業し、もう帰るのが面倒なのでそのまま朝方代々木公園に行きビールをあおって寝た。
家に帰ったら帰ったでキッチンに座り込み、安酒と魚肉ソーセージを一日中摂取していた。そうやって徐々に音楽への探究心も失っていき、自堕落な酒浸りの日々を送る僕の目は濁り、心身ともに朽ちていった。

そんな日々から一発で引き戻してくれたのは1人の女性だった。
簡単にいうとお付き合いしていた人からフラれたのであるが、依存していた人物が急にいなくなると視界が開けるものだ。
急に僕は他人と連絡を取るようになり、楽器を持つようになり、枯れたと思っていた作品のビジョンが生まれてきた。
いろんな場所へ行き、いろんな人と会い、いろんな話を聞くことで東京とはこんなに色彩豊かな街だったかと感動した。その感動は作品に散りばめられ、作品はまた新たな仲間を呼んできてくれた。音楽の輪ってやつである。
そうして沢山の仲間と奏でる音楽が楽しくてたまらなくなった僕は新しい感情と出会った。
ライブで共演した人たちと別れたくないのである。
いつまでもこの夜が終わらなければ良いのに、そんな想いを互いに抱いて僕達は酒を飲んだ。安い居酒屋で、仲間の家で、駅前の広場で。自分たちの好きな酒を自分たちのペースでゆっくり飲み、みんなの話を聞きそして話す。こんなにうまい酒があったのかと180円の発泡酒を飲みながら思った。酒はこうやって楽しむものであったのだ。
やがて時代は移り、僕も年齢を重ね名実ともにおじさんとなった。
酒を飲む場は自分で選び、自分の金と自分で作った時間を消費して飲みたい人と飲み、たまには若者にもご馳走し、知らない世代の話を聞いて少し困った顔をする善良な酒を好むおじさんになった。
酒の飲み方には本性が表れると思う。
寂しい人、怖がりな人、悩める人、おおらかな人…それぞれの抱えた本性を晒して、それさえも愛し合って良い時間を過ごせるような酒好きに僕はなりたい。
紆余曲折があって今も酒が大好きな僕であるが、皆様はいかがだろうか。
酒の話は尽きないので書こうと思えばいくらでも書けるのだけど、酔った話ばかりしてても仕方ないのでこのへんにしよう。
とにかく、現代においてちらほら目にする酒への問題提起に向けて言いたいことは、酒が悪いんではなくて飲んでる奴の中に悪い奴がいる、ということであるのでそこらへんのことを正しくご理解いただき、酒飲みの皆様におかれましても是非一度わが身を省みて頂きたいものである。
それでは皆様、今夜も良い酒を。
ライブハウス『松山サロンキティ』店長/武花 正太
プロフィール

音楽、アニメ、旅、鉄道、廃墟、階段など、引っ掛かりを覚えた物を節操なく取り込んだボーダーレスなライフスタイルは国内外を問わず広く呆れられている。
自身のバンド「MILDS」では作詞作曲、歌、ギター、ピアノを雰囲気でこなし、さまざまな現場でベースを弾く。
DJとしても活動しており、主な得物はなんとアニソンである。