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【連載】RAYSAのおつかれいさだもんで。/第42回

<毎週金曜日連載>

RAYSA/今日の1曲

https://youtu.be/odPGdlTN3wM




爪は短い方が落ち着く

おつかれいさ!RAYSAです。
またまた世の中は大変なことになっておりますね。コロナ。私も職場で出たり、疑いがある人が出たりでてんやわんやしています。私は無事です。

さてさて、私は最近ネイルアートを自分でやることにハマっている。爪がキラキラしているとテンションが上がる、カワイイ〜となる。なぜ自分でやるか。コスパが良いから。ギターを弾くとなると数ミリ伸びた爪が邪魔になる。伸びては切って、のスピード感がギターを弾かない人より速い。サロンに行っているととんでもなくコスパが悪いのだ。だから自分でやって、コンスタントに塗り直すのだ。

昔から爪は短かった。ピアノをやっていたから伸ばすことはなかった。ピアノをやめてギターを始めた。伸ばすことはなかった。一度音楽から完全に離れた時は長い爪でネイルを楽しんでいたものだ。しかし長いこと短い爪で過ごしていると長いことが変な感じになる。伸びた爪の些細な汚れが気になる。すごく気になるのだ。短くすれば気にならないのだ。気にせず生きていける。

気にせず生きる。簡単なようで難しいことだ。最近思うことがある。
「鈍感力」も生きるための技術だと。
たまに思うことがある、感受性を野放しにしているととてもこの世界、社会で生きるのは難しいと。

気を遣う、気にする、よく他人から言われることだ。私は感受性を解放し続けたまま社会で生きることはできない。だから必要の無い場面では鈍感になる、スルーすることを覚えた。
生きるのが向いてないんじゃないから。
感受性の解放は創作の時或いはこの連載の中で。使い分けられるようになってきたからこそ、少し説教臭くもなるのは事実。社会で生きていきたいなら、社会で生きるしか道がないなら、残酷過ぎるがそこは「鈍感力」を身に付けることなのかもれないと最近思うのだ。まず「鈍感力」という言葉を覚えることから始まる。

想像以上に自分よりも生きづらそうな人が沢山いるんだなと働いてみて思う。悪い意味ではない。しかし羨ましくもある。きっとその繊細さはそもそも私は持ち合わせていないのかもしれないからね。芸術にできれば大勝利。
芸術はいつも味方だ。

この週末で色々心も身体もバランスを取れるようにしようと思っています。
あまりSNSの更新などできずごめんね。これからもよろしくね。

RAYSA




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