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【連載】RAYSAのおつかれいさだもんで。/第35回

<毎週金曜日連載>

RAYSA/今日の1曲

https://youtu.be/Xp8uPyVvvRQ




変な人とは(コオロギを食べた話)

おつかれいさ!
RAYSAです。

今回は社会人女表現者ならでは?のお話をしようと思います。

私は今年で社会人3年目になります。まだまだ小童。ただ強く思うスタンスとして、自分のアイデンティティのひとつは「サラリーマン表現者」であるということ。それを隠して創作や表現の活動をしようとは思っていない。

表現者って良くも悪くも社会不適合な所はあるのかなと思っています。ひとつのジャンルではなくて、あらゆるところで、その人それぞれに。例えば、人前で色々なアイデアを出すことや意見を言うことに躊躇わないとか、一方で人と話すことがめちゃめちゃに苦手(いわゆるコミュ障)とか、縛られたくない精神とか。

私は割と人前で堂々としているし、自己開示が得意だ。それを結構仕事に活かしている所も少なからずあると思っていて、上手いことやってはいると思う。

表現者は、「ちょっと人と違う」とか「感性が独特」とかイメージがあるよね。自分よりもっと感性が凄い表現者だらけの世界に暫くいたからその感覚は麻痺していて、自分なんて全然凡人だし面白みない人間だよな〜とまで思っていた。

しかし。やっぱり私は感性が独特である(と一般的には言われる)のかもしれないと思われる出来事があったので、ここに書き留めておく。

私はゲテモノ好きだ。勿論、表現者以外にもゲテモノ好きな方は沢山いる。ただきっと世間的にはよく分からないと頻繁に言われることなのだ。

職場の方が食用コオロギを持っていた。私は目をきらきらさせて欲しがった。
入社して1番というレベルにテンションが爆上がり。
それはそれは乾燥させたコオロギ。なので、見てくれは「小さい赤ちゃんコオロギの死骸が野外で干からびている」という状態。

少し頂こうと袋からティッシュに出した。その途端、周りの女性たちは絶叫し、私の近くから離れた。

「(社会的に)やらかしたか?」
と思った。
しかし私のモットーは…
内なる好奇心の訴えに従うことの方が、社会の「普通」に従う事よりも重要!ということ。
「普通」という概念が大っ嫌いで私は音楽を始めたのだ。

嬉々として私は干からびたミニコオロギを食べた。まるで間食としてナッツを摘んで食べる麗しきレディのようにな。
周囲からは冷ややかな視線。
慌てて「海老煎餅の味!」「ほら!コオロギはタンパク質が豊富ですしね!」とコオロギ推進委員会のようなプレゼンテーションを始めた。

しかし、コオロギを食べることはおかしかったらしく、入社1ヶ月も経たず私はイロモノ枠に入ったかと思います。何も後悔はありません。ただ、「ゲテモノ好きな女は少数派」ということが分かりました。

そこで気が付いた。この感覚は初めてじゃないぞということ。遡ること10年前とか。学生時代、流行りのもの、可愛いもの、などに惹かれる女の子たちとは全然遊んでこなかったこと。私はその趣味に対して少しは知っていたし、仲良くなりたかった。彼女たちが抱いた違和感はどういうのかわからないけれど、「感覚が違う、変だから、あんまり仲良くなれないかな」だとしたらとても悲しいなと思ったのだ。

私は別にコオロギを食えと思わないし、ドン引きされても良い。ただ、そういう事で「合わない」って判断されちゃうのが怖いなと思った。

「普通に」考えて、虫を嬉々として食べる女よりも虫怖い、可愛いもの好きな女の子の方がそりゃモテるよな。正義だよな。逞しさコンプレックスを思い出した。

「変人」の称号を見事与えられた私は寧ろ喜んでいた。「変人」にしか出来ない仕事があるんじゃないかって。多数派の感性で行う仕事と少数派の感性で行う仕事、私は私のやり方で成功していきたいと思って寧ろ喜ばしいと思いました。

もしも何かしらで孤立している人がいたなら胸を張ってほしい。独特な感性は自分を傷付けるためじゃなくて、新しい発想のために使うほうがハッピーだ。「勝者は群れないよ」と昔塾の先生が言ってくれたっけ。周りと違うはきっと色んな道があると思うよ。

表現者の世界に行くと私は埋もれてしまうんだけどね、まあ適材適所ということで。変な人とは環境によって違うよね。

余談ですが私の恋人は、一緒に虫を食べたがるような人間だったと思い出し、ふと安堵するのでした。

ではでは、この辺で。おつかれいさ〜!

RAYSA




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