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【連載】RAYSAのおつかれいさだもんで。/第22回

<毎週金曜日連載>

RAYSA/今日の1曲

https://youtu.be/odPGdlTN3wM




蛍雪の功を積んだのか。いや、積んではいない。

皆様、おつかれいさ!
最近寝ても寝ても眠いです。8時間久々に寝たけど、逆に普段よりも寝すぎると眠くなるから難しい。困った!

さあそんな眠い冬の日ですが、この時期になると思い出す高校時代でも書こう。
サムネイルは高校の時に後輩が描いてくれたイラストで当時作ったコラージュ。

愛知県豊田市で高校生をやっていた私、東京に出たくて出たくてたまりませんでした。

この1月後半って、当時の私は東京に行きたい!という気持ちで大学受験のラストスパートをかけていた。冷たい風の朝は特にあの頃を思い出す。

大学に入る理由、勉強がしたいからという目標は大して強くなく、周囲の反感を買わない方式で上京がしたかったRAYSA少女であった。ゆえに火事場の馬鹿力を発揮したのである。

今は共通テストって名前だけど、私の頃はセンター試験。それを終えて2次試験の猛勉強をしていたのが7年前の今頃。え、7年前!?トホホ。

志望校の試験ではミニ小論文が毎回試験で出ていたのでそれをよく採点してもらってた。優しい先生たちだった。憧れて一瞬、そんな先生になろうとしたけど、大学の教員科目が無理すぎて性に合わないとやめた。結局無事に志望校に合格したんだけど、ミニ小論文の自信が無さすぎて試験帰りの新幹線で号泣したのは良い思い出。

あとね、すごく寒かった。私の高校は校則が厳しくて黒いタイツは禁止。素足、もしくは肌色のストッキングに靴下。肌色のタイツ履いて誤魔化してたけど。これが驚くほどださかった。

スカートは膝が見えたらアウト。髪は結ぶ。カーディガンとコートは指定(ピンクとか茶色とか憧れてた)。化粧やヘアカラー、ピアスだって勿論だめ。そんなちょっと珍しい環境で育ってきました。

おとなしく生きていた(表面上)ので、家を飛び出したら髪の毛染めまくったしピアスも開けたし、田舎者なりにはっちゃけてました。でもはっちゃけ方がわからなくて、全然なりきれなかった感じだなぁと今は思いますが。
外の世界を知ると、すごく華やかだし私の中のはっちゃけは全然地味だったと痛感しました。

そんな真面目な環境の中でしたが、小学校や中学校に比べたら高校は割と好きであった。そりゃね、皆基本的に勉強しに来てるからくだらんイジメとか無かったし、頭おかしい(褒めてる)やつも多いし。色々ずる賢いやつはいた気がするけどね。私はあんまり人間関係上手くなかったし、「陽キャ」と呼ばれるキラキラハッピーワイワイ軍団は恐ろしかったんだけどね。「陽キャ」、なりたい人生だった。なろうとしたんだけど無理だった。何なん、あの選別システム。

あと、高校の先生はすごく好きだった。2年間担任だった恩師、ギターが好きなロックンロール先生であった。最高。

三者面談でどうやら私は家での勉強時間が少なすぎて、「進学校でそれはないだろー」って呆れられた事があったり、進路相談で真面目な顔で私は「音楽やって生きていきたいんです」と言ったりして困らせていた気がするが、「弾き語りならロックな感じの弾き語りを女の子がやるってなんかいいよね」って言葉を頂いた。それに影響されたのか、巡り合わせなのか分からないけれど、そういう表現もするようになった。

何よりも、進級の時にその先生がくれたメッセージはすごく大好きな言葉だ。誰も不幸にしないし、応援してくれる言葉のように受け取れた。

時が経ち、別の担任の先生(好き)と連絡を取り、ロックンロール先生を繋げてくれて連絡を取ることができた。私はあのメッセージのお礼を改めて伝えた。

先生、私のYouTubeチャンネルも登録してくださったようでとても嬉しかった。高校時代は文化祭に出るためのオーディションでボロカスに巻けて日の目を見られなかったけれど、少しは成長した所を見せられたかしら…と思った。

先生、今は他の県に住んでいるようです。どうやらその地方にてライブ関係のお知り合いがいらっしゃるとか…お世話になります!ただ、また大変な世の中になってしまったな。いつか必ずライブしに行きます。

高校の後輩とかも全然会ってないけど、音楽聴いてますって言ってくれるのが嬉しい。地元で歌いたい気持ちになるね。

ノスタルジックになりながら、今回の連載はおわり。皆様、おつかれいさ!

P.S.
LEDライト付きのスマホスタンドを手に入れたので、自宅配信やYouTubeへのモチベーションが高い。よろしくね。

RAYSA




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