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【連載】ポルネオ倉庫〜コラム編〜/第21回

<毎週金曜日連載>




僕とギター

どうもPortoneon(ポルトネオン)のうえでぃーです。
人生で初めて自分が原因で公演中止にしてしまった。

最近出した楽曲「リンゴアメ」のレコーディング中にも違和感はあったのだけれど
左手に張る感じ…痺れる感じ…なんだこれという感覚があって、診察の結果は肘部菅症候群。
僕自身も初めて聞いた病名。発機の演奏者、特に弦楽器奏者に多いみたいだ。

結論、1月中旬までの安静とリハビリを余儀なくされたのだがこれまたたくさんの方から心配や励ましの連絡をいただいた。
公式LINEでは108件という驚異的な数の数値が右上に表示されていた。ありがたやありがたや。

当の本人は私生活には問題も現状全くないし、いつも通りの日々を過ごしている。
病んでしまったみたいなことももちろん一切ない。
レコーデイングくらいならこれまでより少しインターバルを増やしながらでもできるし、長い目で見たときに
ずっとギターを弾いていたいので今回は指示に従うことにした。

この件に関してはYouTubeで直接話した動画がアップされているのでそちらを参照してもらえたら幸いです。

https://youtu.be/tL8CORad_4g

長いことギターを愛し続けている。
Gibsonのレスポールが欲しくて、16歳で時給750円という最近では信じられない驚愕の額面でアルバイトに励んだ。
ずーっとシフトに入ってひどい時なんて、家とバイト先の間の公園で寝てまたすぐ朝イチの仕込みから主婦の方々と一緒に働いた記憶がある。
あまりにもバイトに入ってるものだから不憫に思ったのか、主婦のパートの方がお弁当まで作ってきてくれる事態にまでなった始末だ。

高校生はまともにローンも組めないし、そもそも毎月何万も当時分割でちゃんと払える自信が全くなかったので一括で買った。
貯まりきった月の給料日が来て、その日にすぐ買ったからそこから次の給料日までの残高は確か7円とかだった。
まあそこは高校生ということで実家だし、なんだかんだ過ごせた。
それよりもGibsonのレスポールが嬉しくて、毎日ずっと弾いていた。学校に行くのを忘れてしまうくらい没頭していた時もあった。

大して何にも弾けないし、アンプもどこぞのメーカーかわからない安いやつだった。
でもそれで必死に好きなギタリストの音を真似しようと試行錯誤していた。
当時、学校でコピーバンドを組んでいたから同級生のベースの奴の家に4人で集まってDVDを観ながらなんでこんなに
格好いいのかという意味不明な観点を議論しながら毎日そいつの家で晩ご飯を食べていた気がする。

正直そんなに治安の良い学校じゃなかった。というか多分ワーストだった。
だからなんとなく楽しいというか、男子高校生らしい生活をしていたんだろうけどギターを買ってから全てが変わった気がした。

バンドメンバー全員馬鹿すぎてライブハウスでコピーバンドで出してもらえて良い演奏ができたら、次の日には名だたるメジャーレーベルが
僕らの学校に押しかけると本気で思っていた。
学校の友達をかき集めて、たくさん呼んでチケットバックでもらった1,000円を4人で見つめながら、「もうこれは実質プロとして名乗って良いのではないか。」と
勢いのある勘違いをしていた。
そして次の日、ベースのやつが学校に持ってきた水筒の中身が”いいちこ”になっていた。
頻繁に休み時間トイレに行ってワックスを付け出したのも確かそのくらいの時期だった気がする。

そもそも素行のいい学生ではなかった上に、聞いてられないような演奏をする僕らは今考えたらもはや悪魔のような存在だっただろう。

毎週末コピーバンドながらなんだかんだすごい方々の前座みたいな感じでライブに出させてもらっていた。
時には当時のボーカルのお父さんのツテでライブバーみたいなとこで大人に混じって演奏させてもらったりもした。
これが結構いい経験だった。自称昔プロミュージシャンでやっていた酔っ払いのおっさんにあーだこーだ怒られながら演奏のアドバイスももらったりした。

ある時ベースのやつの家で、また晩ご飯を食べているときに「やっぱり時代はオリジナル曲じゃないか。」という結論に至り曲を皆で書き出した。
今まではバンドスコアになぞって弾いていればよかったけれどノーヒントで生み出すことへの難しさになかなか絶望した。
というか、普通に考えて朝方まで下手くそな音を出されながら全く文句を言ってこなかったあそこの親はマザーテレサだったに違いない。

そこから最初オリジナル曲を初めて披露した時、この世の終わりみたいな空気になったのをよく覚えている。
そこで馬鹿たちは気づいた。「そうか、知ってる曲だったから皆まだ笑顔だっただけだったんだ。」と。

毎日毎日レスポールを弾いた。
上手くならないと誰にも聞いてもらえないから焦っていた。
もうその頃はメジャーデビューだのなんだのそうでもよかった。とにかく自分がイメージする音を的確に弾けるように必死に練習した。

何年も経って気づいたらレスポールのボリュームノブは自然と手が擦れる部分に合わせて塗装が剥げ出していた。

毎度のことだがいい加減割愛しないと、卒論のレベルになってしまうからスッと時を飛ばしてPortoneonが今こうやってある。

ギター少年でいれなかったら今出会っている99パーセントの人とは関わりがなかったといっても過言ではない。

このレスポールで大阪城ホールに出た。野音もホールもツアーもレコーディングもたくさんたくさんやってきた。

大阪城ホールは既にソールドしていたけど、プロデューサーの方が特別に僕とかなの家族を招待してくれた。
個人的にはワンマンでやらないと全然まだまだ納得いかないけど母親が言っていた。
「毎日毎日、部屋であんな下手くそなギター弾いてたのにあそこ立ってたもんねー。人生わからないね。」

僕が夢を叶えたい時、出会ってほしい時、生み出したい時、かなやサポートありきなのはもちろんだけど、
いつも必ずレスポールがあった。

だから一旦、この先の旅のためにライブはお休みさせてください。ごめんね。
必ずまた16歳のギター少年の心のまま会いに行きます。

Portoneon/うえでぃー(Gt.)




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Portoneon/今日の1曲

https://youtu.be/TkUMaiV7Akc

アーティスト情報




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